
目次
膣に脱脂綿を詰める習慣
タンポン第一号「さんぽん」の登場
戦時中ボロ布を使用
増加するタンポンへの偏見
まとめ
膣に脱脂綿を詰める習慣
意外なことに、タンポンのように脱脂綿や布を膣内に詰める習慣は平安時代からありました。しかし、これらの目的は「経血の処理」ではなく「避妊」でした。そのため、この方法で避妊をしていた人は「遊女」(男性に性的サービスをする女性)とされ、膣内に詰め物をすることに対する偏見は強かったそうです。大正時代になると、脱脂綿を固めた玉状の詰め物が発売され、経血を処置するという目的が少しずつ世間に広がっていきました。
タンポン第一号「さんぽん」の登場
そして経血を処理する目的として1938年に登場したのが「さんぽん」でした。これは現在のタンポンと似たような形状ですが、当時はあんぱんが5銭で買えたのに対してさんぽんは45銭で販売されており、一部の女性のみ手に入れることができる高級品でした。
戦時中ボロ布を使用
しかし太平洋戦争が始まると、生理用品として脱脂綿を使用することに対して制限されてしまいました。代用品として3割安い模造綿が登場し、中には貴重な脱脂綿を洗って繰り返し使用したり、ボロ布などで代用するライフハックが雑誌に紹介されていました。次第にこの代用品が細菌感染の原因になり、戦後は再びタンポン式の処置法に対する偏見や弊害が生まれました。よって、当時の厚生省はタンポンの安全性を確証するためにタンポンを医療器具の一部として指定をしました。
増加するタンポンへの偏見
タンポンが再び注目されるようになったのは東京オリンピックが開催された1964年でした。体操選手や水泳選手が生理中でも思いっきり競技に参加できることをキャッチコピーに、多様な種類のタンポンが販売されました。その反面、タンポンに対する偏見も強く、「処女膜が破れる」という誤った認識が広がり、当時の性教育の現場でもタンポンの使用を控えることが忠告されていました。この後の時代にもアメリカでのタンポンを使用したことによるトクシック症候群の流行により、日本ではよりタンポンに対する評判が悪化していきました。では、現在はどうでしょうか?昔よりもタンポンのクオリティも遥かに上がり、違和感なく使用できるものがほとんどです。よく考えてみると今でも私たちの中で無意識な偏見によって自然と選択肢を狭めてしまっている事もあるかもしれませんね。
まとめ
今や店頭に並べてあるタンポンですが、やはりナプキンと比べると販売している種類や数が少ないです。初めて使用する生理用品としても、多くの日本人はタンポンではなくナプキンの方が圧倒的に多いのではないでしょうか?そのような理由としても今回紹介した過去の歴史から強く根付いている偏見が影響しているのではないかと思います。今後は自分が快適に過ごせるような生理用品を使用しつつ、無理のない程度でいつもと違う生理用品を試してみるのもいいかもしれませんね!